庭のないアパートメントに暮らす我が家。鉢植えの植物が増えることは、命を背負うことに他ならないのだけれど、日に日に共に暮らす友が増えています。今日はそんな我が家の植物たちの写真とともに。
子どもと植物と。
植物の声を聴いてごらんと教えると、子どもたちはいとも簡単に植物と対話をする。
「今お水は要らないって言ってる」
「お日様に当たりたいって言ってる」
「お外に出たいって言ってる」
その一呼吸が、水のやりすぎで植物を腐らなくさせている気がする。
これは、子育てや夫婦関係、その他の人間関係にも通じる?
お日様を浴びたいって言ってるから、窓際へ。よいしょよいしょと移動。
相手と対話をしないまま、自分が良いと思ったものを与えていると、腐るかもしれない。
それは自分自身との対話でも言えることかもしれないね。
私は、私の声を本当に聞いているのだろうか、と、考えてみたりする。
この世は美しくそして完璧だ
植物を見ていると、美しいなって心から思う。遠くから眺めても、近くから見つめても。枯れゆく姿も、また美しい。
このスモーキーな色のアジサイは、ガーデニングショップのマダムからの頂きもの。
たぶんそれと同様に、人の営みも、世の中のどんなことがらも、私のぐずぐずした悩みも疲れも、本当は完璧で、無駄はないはずなんだよなぁ。でも、なかなかそうは信じられずに、怒ったり、焦ったり、するわけだ。あがいても美しくあれんものか。
長男のお部屋の窓辺にて。
そんな美しい植物たちは、さらに他の生物の食べ物やら薬やら、時には毒ともなる。なんて奥深く素敵なんだろう。
彼らはそんなこと考えず、ただ生きてるだけなのに。
タイムをはちみつ漬けにしたら、冬の喉のトラブルによいんじゃないかと育ててる。
子どもたちの遊びもの
現在、ほぼ自然素材のものだけで遊んでいるうちの子どもたち。電車とカプラとお絵かきの道具や折り紙、そして自然からの拾い物がたくさん。飽きないものですねぇ。どんぐりから虫がわいたり、ヘーゼルナッツを炒って食べたり、大忙し。
バジルの葉もあらかた食べつくしたのは虫ではなく・・・・子どもたち。パクチーもよく食べてる。最近花粉が多くて、葉に黄色い粉が積もってます。
枝ぶりから、想像したものに見立てて、鉄砲にしたり船にしたり杖にしたり・・・・それを使っていっぱい遊んでる。
バリ島のサンゴ礁や、台湾で拾った石は、子どもたちの宝物箱にいっぱい入っていて、蓋が閉まらないほど。それぞれ思い入れがあるらしく、どれが自分の拾い物かちゃんとわかる。
ローズマリーは強いなぁ。南国から寒い国まで、元気に伸びてるよ。こうありたいわ。
自然にいっぱい遊んでもらって、いつか、自然に何か返せる人に、育ってくれたらいいな。
苔も育てております。見てて飽きない。本当にかわいい
目指すは畑作業の復活
初めての、オランダの冬。今日セントラルヒーティングを試運転してみました。鉢植え、冬にはどうしたらよいのかなぁ。現在レタスは室内と屋外両方に配置して様子を見ています。バジルも暑い日が終わったら一気に元気がなくなったので、株分けついでに屋内外の2か所に配置してみる予定。
奈良の種の交換会で手に入れた種も、まだ植えていない。
オランダは、市民農園みたいなところがたくさんあるようなので、是非申し込みできたらいいなぁと思っています(これから調べます。情報求む!)
日本での暮らし、そしてバリ島暮らしの最初の頃は畑をやってて、種や出た芽を食べてしまうカタツムリと知恵比べしながら育てていました。もうだいぶ昔のことで・・・あの暮らしを取り戻したいという思いがあります。
日本でじぃじと畑で過ごした日々が楽しかったようで、畑のやる気もある、うちの子どもたち。いい戦力になりそうだ。