(定住地は欲しいものの)
旅をせずにはいられない。
前回の一時帰国の時、母と話していたときに「新しい場所に行くって、不安とかないの?」と
聞かれました。
ここ最近、また旅のことを考えていたので、すごく懐かしい90年代なタイトルで、
2016年の旅への思いを書き記しておきたいなと思います。
脳みそが旅に出る
そもそも、旅のことを考え始めたのは以下の2つの理由から
<1>次に行く予定の地が、初めて夢に出て来た
<2>北朝鮮に行った人達の旅行記を見た(複数)
私が夢のお知らせを大事にしているのは、このブログでもたびたび出てくる記述。
これとか
それは、自分が行くべき道に光が当たったような、そんな感覚だから嬉しい。
北朝鮮については、一時期、発刊されている本や図書館にある本を軒並み読んだことがあって
(これはナチスやヒトラーについても同じく)
社会の悪や闇とされているものについて知りたい、追求したい、という欲求が、
自分にあるんだろうな、ということを自覚しています。
そこにある真実や、生きている人たちのぬくもりを感じてみたい、信じたいという思いも。
やっぱり、自分で見てみたいよね。ガイド付きで、普通に行けるんですよ。
不安はあるのか
冒頭に書いたように、新しい環境に不安があるか、というと「ないわけではない」
でも、バリ島、そして台湾と4年間の海外暮らしで、本当にいろんなことがあって
傷ついたり怒ったり落ち込んだり、したこともあった。そこで得た、自分の視点の広がりや
家族や人との間で得たものが、尊い。
まさに
「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです」
状態。
体験するために生まれて来た
色々な情報が溢れている中で、私は「自分がどう感じるか」ということにすごく興味がある。
そう、体験するために生まれて来た
見たことのない景色を見たい、その人が、どんな思いを持っているのか、どんな人達なのか。
「○○人はこう」とか「男はこう」とか「女はこう」とか
くだらないステレオタイプではなくて、自分の目で見て、自分で感じたい。
自分が、そこから学んで、たくさんのことを考えたり、心を使いたい。
たくさんの人や場所に会ってみたい。
そうしたら、本当の意味で自由になれる気がするのだ。
今思い当たる「実体験」したいこと
・保護者が異性同士だけではない環境での子育て
・ハーブの文化のある場所の子ども達と遊ぶ
・全く違う言語を喋る自分のこと
・中国大陸の奥深さ
・死ぬまでに北朝鮮は見に行こう
・広大な大地、無音の世界
・イスラム圏の美に触れたい
・「難民」と言われている人と接し暮らすこと
・日本のお茶農園を訪ねてみたい
すんごい短時間でざっとあげると、私が自分の心や、脳みそに落としたいこと
しっかり実感して考えたいことがこれだけある。
これは、すでに今自分にサインとしてあがっていて自覚しているもの。近い未来に実体験するであろうこと、だ。「旅」の中で、そして「人生」というもっと広義の「旅」の中で。
すんごいワクワクする。自分の見え方や価値観が、もっともっと広くなる気がする。
もっと成長できるのではないか、もっと優しくなれるのではないか
また旅のバイブルを読まなくては。
アルケミストー夢を旅した少年 パウロコエーリョ
だから、私は旅をするのだ。
やっぱ良い歌だ
遠くまで旅する恋人に あふれる幸せを祈るよ
ぼくらの住むこの世界では太陽がいつものぼり
喜びと悲しみが時に訪ねる
遠くから届く宇宙の光 街中でつづいてく暮らし
ぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり
誰もみな手をふってはしばし別れる
小沢健二「僕らが旅に出る理由」より