マタニティ講座終了。なぜ肉体を持って生まれてきたかって話。

今日は、マタニティ向けのアロマ講座でした

この時代、もはや出会う人たちは
本当に意味があって出会っていると思っていて
今回ご受講いただいた方の”今”にぴったり。
出会うべくして出会ったのだな、と思っています
ありがとうございます

1時間半とかいいながら、結局2時間半の講座。
長い間お付き合いいただき、ありがとうございます。

ふれあいの場を作るということ

ベビーマッサージのインストラクター講習でも昔よく話していたのですが

人と人が繋がれる場所を作ること
悩み相談ができたり、ほっと一息つける場所を設けること

というのは、私のテーマのひとつなんだなと思っています。
マタニティの施術も、その後繋がっていく施術もそう。
ひとつ、子育てをしていく中での拠り所になるサロンができたら、と。

最近、またベビー&マタニティ向けのエネルギーが
戻って来ている感じがします。
特に妊娠する予定はないのだけれど。。。。
なにか、また「生み出す」タイミングなのかな、私も。

肉体を持った意味

講座が始まる前、相方と、とあることから色々話をしていたのだけど
私は、本質的に人間と人間はわかりあえない という思いがあるんだと思う。
出来る限り理解したいと思う
出来る限り分かりあいたいと思う
でも、その相手が感じたものと、まるっきり同じことは
感じることができないと思ってる。

その相手の感覚を尊重しているからこそ
「あなたのことを本当の意味で分かることができません」
と、私は表明したい。
それは、夫婦間でさえも。
それぞれが個として存在しながらも
お互いが共鳴しあって、共振しあっていきている。
それが人間なんじゃないかな、と私は考えてる。
もし、私たちに肉体がなくて
魂だけだったなら
多分、私たちは、一緒になることができる。
多分、私たちは、完全に分かりあうことができる。
肉体があるから、肌という壁があって
きっと、”分かりあいきれない”んじゃないかな
そして、それを分かりあう最大限の努力は
肌の触れ合いだ。
これは京都御所にあった、絡み合う木です。
イチョウの木となんだったかな。。。

たぶんそれを愛とも呼ぶ

愛を体感するために
私たちは人間として生まれた
というなら、肌をふれあうことは
私たちに必要なことだ。
いくらインターネットが普及していても
遠く離れた友達が悲しんでいる時に
ハグできないのは、寂しいと思う。
幼い頃に母に手を引かれた記憶
大好きな人と抱きしめあった感覚
子どもの吸い付くような肌や
おばあちゃんのカサカサした手や
年取った親の、丸みをおびた背中や
たぶん、それを体感するために、
人間として生まれた。
肉体を持った意味、だと思うんだ。
だから、触れることができて
良かったねって思うんだ。
きっと、少しだけ
相手に近づくことができるから。
相手を分かることが、できるから。
触れられるうちに、いっぱい触れておこう。