オランダ暮らし レイシズムか伝統か。日々考えてもやもやしてる話

もやもやしてることで、友達にもいまいち切り出すタイミングを逃しているのだけれど、いろんな人の意見を聞いてみたいことがある。それは、オランダでのレイシズム、人種差別のこと。

日常で感じる差別

正直なところ、差別的でいやな思いだ!と感じたことは、ほとんどない。オランダは、いろんな人がいるから、人種差別がないとかよくネット上に書かれているけれど、確かに、とても多様な社会である、とは思う。ではゼロか、というと、そうではないと思う。

「シネイス(チャイニーズ)」と道端で言われることは時折。でも、ヨーロッパの人から見たら日本人も中国人も違いなんてわからないだろうし、中国人と言われても、私自身は中国人に対する偏見が特にないので、怒ったりとかはしない。

ただ、その言葉に、ちょっと嫌な感じを受ける、というくらい。

私は肌の色が白くて、目や髪の色素が薄い。田舎で育ったから、学校とか道端で「白人」とか「外人」って言われることが良くあって、オランダで、こういった言葉をかけられたときには、あの時感じた嫌な感じを思い出す。
好意的な言葉で「ハーフなの?」とか聞かれることもあるわけだけど、「人とは見た目が違う」ということを指摘されることに、とても居心地の悪さを感じていたし、孤独だった。みんなと一緒がいいって思ったあの頃。袖丈のいつも足りない長い手だって、ちょんぎってしまいたかった。


薄いの。この写真は髪をブラックヘナで染めた時の写真。だいぶ昔よりは黒くなったけど

子ども達は、シネイスという言葉に加え、目を指で横に吊り上げる動作をあわせてされることもあって、学校でも「そんなことやっちゃいけないんだよー」って友達が言ってくれた、とか、そういうことはあるみたい。あとは、自分で「中国人じゃなくて日本人だ」って言い返したりするみたいです。

たまに「シネイスって今言ってた」という、行き場のない感情を持った目をすることがあって、どうしてあげたらいいのかなと思うのだよね。もやもやが残らないよう、反応できる瞬発力が必要か。

私はその幼いころの受けた体験も含めて、見ず知らずの他人に対して「○○人だ」って声をかける心理について、思いをはせる。それは「自分とは違う」ということなのではないかな、と思うし、あまり居心地のいい言葉では、やっぱり、ない。

オランダに来てから感じたのは、移民である私たちは現地の人に「恐怖を与える存在」なんだということ。見た目からして彼らとは「違う」から。
よくわからん極東から来た、オランダ語の話せないアジア人。生の魚は食べるし刀を差してるかもしれないし、忍者かもしれない(という認識の人も絶対いるはず)怖いよね。きっと。それは、日本の人がヒジャブをかぶったイスラムの人を怖いと思うことにも似ているのかな。

この、自分が「人に恐怖を与える存在と思われているのかもしれない」ということに気づいたのは、まだオランダに着いて日も浅い頃だったのだけど、まさか自分が人を不安に陥れる立場になるとは思ってもみなかった。

だから、挨拶ちゃんとしよう、とか、(なめられない程度に)笑顔でいよう、とか、オランダ語を覚えよう、とか最低限のことは気を付けようとはしている。居住する権利を持っていても、人様の土地に住まわせていただいてる外国人なのは変わりない、と思ってる。

誕生日の歌の話

そんな日々の中で、知人がSNSのコミュニティに上げていた疑問を投げかける投稿があって。これはまだ家族以外と話せずに、もやもやと考えてる。それは、誕生日の歌の話。

オランダの誕生日の歌は Lang zal ze leven という、インドネシアの誕生日の歌と同じメロディーのものが一般的だけれど、日本人におなじみの「ハッピバースデー トゥーユー」の歌も歌われる。

その歌詞がね

Hanky Panky shanghai (いんちき上海)

だと、SNSの投稿で知ったの。衝撃だった。

しかもチビたちが

「ほんきぽんきーしょうかーい」

って歌ってたので、本当の発音と意味を知らなかったという二重の衝撃。
移民学校に行っているチビたちが、この歌詞で誕生日の歌を歌っていたなんて。
それは。。。。どうなの。。。。
中国人の友達もいっぱい通っているのに。
彼らはどう思っているんだろう(と思っても、まだ中国人の友達と話せていない)
そして、校長先生にもちょっと聞いてみようと思ってる。

この動画、45秒くらいのところ。目を指で横に引っ張って「シャンハーイ」と言って笑ってる。

シンタクラースの従者ピット問題

シンタクラースのお祭りの、従者ピットが、黒人差別に当たるのではとか奴隷時代の名残ではないかという声もあり問題になるそうだ。縮れ毛、黒塗り、赤い唇、金の耳輪、ファニーな動きで、「ズワルトピット」と呼ばれるのは、まさに、といったところ。

今年出くわしたピットは、去年よりも、今年のほうが、髪の毛はふつうで、黒塗りではなくて「煙突を通ってすすで汚れただけ」のピットにシフトしてきている印象がある。子ども達も、学校では「ズワルトピットとは呼ばないで、ピットと呼んだほうが良い」と習っていていて、昔ながらの歌では「ズワルトピット」という単語が出てくるし、歌っているけど、会話の中ではズワルトピット=黒い従者という単語は使わないシンタクラースの時期を過ごした。私がうっかり言うと子どもに注意された。

このピットみたいに、煙突通り後みたいにシフトしつつある

伝統とレイシズムのはざまで

ピットについては、今のおじいちゃんおばあちゃんも、ズワルトピットの姿を見て育ってきている、伝統のあるものだ。オランダ人からしたら、「よそから来た者が私たちの伝統に口を出すな」というところだろう。

学校のアフリカ系の子ども達は、みんながこぞってピットの衣装や帽子をかぶってきていても、彼らは着てきていなかったような気もする。ほかの仮装のタイミングでは結構ドレスアップしているような気がするけれど。彼らの意思表示のひとつなのかもしれないな、とも思う。

誕生日の歌については、そのSNSのやり取りの中では「20年くらい前からの歌だ」という書き込みもあったのだけれど、どうなんだろう。広く歌われているよう。

時代は変わる。でも伝統は大切だと思う。
この土地は、オランダで生まれ育った、ルーツがオランダ外の人もたくさんいて、では「オランダ人」というのはなんなのか、という話にも繋がってくる。沖縄、バリ島、台湾、と、島として文化を持った場所に住んできた私からすると、とても考えさせられることが多い。

そこで、自分の意見を持たなくてはいけない、と思う。ヨーロッパに住んでるんだし、意見はちゃんと述べなくては。(と思うw)
でも、こうやって現実に突き付けられるとねぇ。どちらの主張も理解ができるし、ただただ「みんな平和に嫌な気持ちのしない世界がいいなぁ」と思うだけなんだけど、ただのお花畑の机上の空論のような思想だけではいけないと最近は思うようになってる。具体案を出したり方針を決めなくては現実に対応できないじゃないか、みたいな。ははは。

子どもの教育と人権問題

結局のところ、自分の考えと、どうしたいか、でしかない。それはわかっているけれど、もやもやとする気持ちがあったりする。(自分の子どものころの経験ともリンクしてるから尚更)
神経質になりすぎる必要がないのかもしれないし、考えすぎる必要もないのかもしれない。でも、考える。

伝統とレイシズムについては、どの国の文化の中でも同じような図式があることだと思う。日本ならそれは男女という家庭内の関係性からして、目に見えている。このオランダでも、こうやって目についたこと以外にも、たくさんの葛藤が隠れているのだろう。きちんと考えていこう。夫婦で話し合っていこう。そして、子ども達とも話し合っていこう。結局は家庭でしかないのではないかな、と、そう思います。

こういったことについて考えさせられるオランダ生活。本当に来てよかったと思います。

こういうことを掘り下げて考えることとか、一部の人からしたら、私は「めんどくさい人」なんだと思うのですが、それが私の特徴なので、これからもめんどくさいこと書きます。

お読みいただきありがとうございます。

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